2010年12月25日

その後

ご無沙汰しております。

母の入院の事を記してから、かなりの時間がたちました。

母は最初の病院から、10月30日にリハビリ中心の病院
に転院しました。

入院中に介護ランクが3と認定され、仕事に追われる私に
代わり、ケースワーカーの方々が努力をして下さり、車で
10分位な場所にある特別老人ホームを見つけて下さいま
した。

正式入所するには順番を待たねばなりませんが、ショート
ステイを連続してさせて頂く事で、連日ホームにいる事が
出来ます。

主治医のおられる病院も近いので、これまでよりは少しは
楽になると思われます。

・・・と、ここまで記しますと、順調に事が進んでいる様
に感じますが、現在の状況に至るまでの過程は・・・

正に地獄の様な有様でした。

リハビリ病院では昼間・夜間に限らず院外に脱走し、警察
に保護されたり、徘徊を止めようとした看護師さんに暴力
を働いたり・・・と言う時期があり、病院からは付添人を
雇う事を依頼され・・・

そんなお金は何処にもない私は、自分が病院に泊まり込む
事を選択し・・・

”仕事終わりで病院直行→そのまま泊まり込み→朝の6時
 頃帰宅して着替え→出勤”

と言う日が続きました。

泊まり込みを止めてからも、週に3度は洗濯を夜22時頃
から行い、母の寝巻やら、タオルやら、下着やらを病院に
届けなければならず、会社を無理やり定時にあがる私には
仕事が山のように溜まってゆき・・・

疲労困憊な私を見かねた病院からの提案で、1泊だけでし
たが、家に連れて帰りますと、それからはかなり落ち着き
を取り戻しましたが、母の「帰りたい」、「ドンに会いた
い」と言う気持ちが如何に強かったか、と言う事をおもい
しりました。

先にも記しましたが、介護認定が定まらなければ、病院側
も、介護施設側も現実的な行動がとれないものですから、
役所にもお願いして、半月程で認定が出たのは幸いであり
ました。

(限りなく4に近いらしいです)3ランク

今月11日にホームに移りましたが、環境の変化に母はま
た不安定になり、廊下を転げまわって泣き叫ぶ有様。

その声を聴きながら、施設入所の事務手続きを行っている
私は、哀しくて、切なくて、そのまま死んでしまいたい程
の気持ちでありました。

これまでも

役所関係、病院関係、介護関係といったい何十枚の用紙に
記入し、捺印した事でしょう。

平日しか手続き出来ない事柄は、会社を遅刻、または欠勤
して行いました。(有給は意地でも使いませんでした)

今後、ますます高齢化に関連し、私のように苦しむ人は増
える事でしょう。

企業も従業員の介護問題に対応できる部署、ないしはシス
テムを備えてゆくべきではないか?

と、考える様になりました。

私は現在の営業職からの転属を会社に願い出ております。

暗い内容で申し訳ありません。

ひとつ車の事を・・・

この数カ月、母の病院に通う足は常に愛車147でした。

苦しい毎日ではありますが、愛車に乗ると、心が安らぎ、
ささくれ立った心が沈静化して行くのを感じました。

私がアルファロメオが好きなのはこんな所です。

アルファと言うと、昔のレーシング・ヒストリーや、
スポーティなイメージが思い起こされますが、アルファ
の真骨頂は「冷静な心と沸き立つ血潮」を併せ持っている
ところだと思います。

柔らかな乗り心地で路面の凹凸をいなし、包み込む様な
座席で乗り手を受け止める。

乗り手が心に痛手を持ち、静かに車に接したい時にはそ
れに応え、ひとたび鞭をくれるとエンジンの咆哮と俊敏
なフットワークで乗り手に合わせる・・・

そんな二面性をバランスさせている所がアルファロメオ
の魅力だと思っています。

特に私の1600cc147にはその傾向が強い。

愛車には感謝しております。


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この記事へのコメント
大変な状況はよくわかります。
この先入院ということになるのだろうと思いますが、
私の父の経験から
 時折栄養補給させてあげてください。
 人により経過とは思いますが、
 病院食だけでは多いりないことになるかもしれません。
病院食だからと安心していると
 落とし穴に落ちることもあるので。

頑張ってください。お体お気をつけて。
Posted by 生田生田 at 2010年12月25日 22:40
コメントいただき、大変々感謝致します。
 
母は、心不全も起こしましたので、塩分には注意しなければ
なりませんが、普通食で問題がない様ですので、ホームから
通院する時や、一時帰宅の際には母の喜びそうな食事をさせ
てあげようと思っております。

私は47歳にもなりながら、奥さんも子供もおりませんで、
これまで”自分以外の為に生きる”と言う感覚がないままの
生活を送って参りました。

母が高次機能障害となってからは、言葉だけでのはコミュニ
ケーションが上手く行きませんので、手を握る、身体を摩る
、表情豊かに接する事などを大切にする様になりました。

元気な頃には照れもあって、中々出来なかった事です。

母の衣類を買いに行き、母の着物や下着を洗濯し、母の好物
を探して持って行き・・・

仕事の合間にそれらを行う事は非常に大変なのですが、でも
自分が子供の頃にすべてやって貰っていた事なんですよね。

亡父が写真好きだった事もあり、我が家には私が赤ん坊の頃
からのアルバムが沢山あります。

疲れた時にはアルバムに写る若き日の父や母の私に向けられ
た優しい笑顔を眺め、その愛情への恩返しのつもりで現在の
母に対して行くつもりです。

綺麗な景色や四季折々の日差しや風を感じさせてあげたくも
あります。

この先何年母が生きてくれるかは分りませんが、少しでも母
らしく晩年を過ごして貰える様に頑張ろうと思います。

父母に連れられて今の団地に引っ越して40余年。

いつの日にか一人でこの団地を後にする時が来るでしょう。

沢山の思い出と、父母に対する感謝の気持ちを心にしまい、
この古い団地に合掌しようと思っております。

本当に書き込みありがとうございました!
Posted by kin147 at 2010年12月27日 00:00